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2017年2月4日土曜日

自己肯定感を高める手法

心理療法士の加藤絢子です。

今回は、「自己肯定感を高める手法」についてお話しをしますね。




自己肯定感が低いと、様々な問題が起きてしまい、生きづらいということをこれまでのブログでお話ししてきました。



では、どのようにすれば自己肯定感を高められるのか?



今回お伝えしたいのは、

「他人をリスペクトしてみる」という手法です!




リスペクトとは、「尊敬」と訳されがちです。

手法として使う「リスペクト」は、
「尊敬=誰かと比べて秀でている人を敬う気持ち」とは少し意味合いが違います。



心理療法の手法としての「リスペクト」とは、

「ありのままの相手に敬意を持つ、尊重する」という感じが表現としては一番近いかもしれません。



自己肯定感を高めようと思うと、どうしても

「自分の好きなところを見つけよう」
「もっと自分の感覚に正直になろう」

など、「自分」を中心としたアプローチになりがちです。


しかし、そうしたアプローチが上手くいくことはあまりないでしょう。


自分の中の、ある部分だけを取り出して、「好き」と考えても、自分という存在への敬意や尊重にはつながらないからです。



ですからあえて、

「他人をリスペクトすること」を自己肯定感を高めるカギにしています。





カギ

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

他人をリスペクトできれば、自分のこともリスペクトできる

つまり、「自己肯定感が高まる!!」


-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



例1
斬新な企画力と粘り強い交渉力でヒット商品を作った上司を尊敬している。


優れた人格や優れた業績を持つ人に対して、尊敬の念を抱き、できることなら自分もああなりたいけれども無理だろうな、などと思ったりするのは、多くの人に馴染みがある感覚だと思います。


実は、このような感覚は、同じ「リスペクト」の訳語であっても、ここで私がお話しするリスペクトとは対極にあるものです。


優れているから尊敬する、という考え方では、自分から見た時にとても優れているとは思えない、あるいは社会的に「優れている」という評価を得ていない人に対して、尊敬の念を抱くのは難しいでしょう。


無理矢理、長所を見つけ出して「尊敬しています」と言っても、虚しいものですし、不誠実です。



このように、「優れている」という条件のもとに「尊敬している」という感覚を持つものを、「条件付きのリスペクト」と呼びます。



ポイント
「◯◯だから尊敬」は条件付きのリスペクト!!








無条件のリスペクト


一方、「◯◯が優れているから」という条件なしに、まさに無条件で、その人の存在に対して感じることができる「リスペクト」がありあます。

これは、日本語で言えば、「尊敬」「敬意」ということになると思います。


この世の中では、それぞれの人が、いろいろな事情を抱えて生きています。

生まれ持った性質、体質、能力も違えば、育てられた環境も違い、周囲にいた人たちも違い、経験してきたことも違うでしょう。

そうした事情の中、それぞれができるだけのことをして生きています。

もちろん、「できるだけのことをしている」ようには見えない人もいるかもしれません。


例2
努力しないのに、偉そうなことばかり言う上司を見下してしまう。


実際に、このような上司を「尊敬」するのは難しいでしょう。

しかし、その人が努力しない(ように見える)のは、生れつき集中しにくい性質なのかもしれませんし、虐待やいじめの結果として集中しにくくなっているのかもしれません。

※集中困難は、トラウマやうつ病の症状の1つです。


あるいは、過去に努力したことが報われず、その心の傷が癒えてないのかもしれません。


何の理由もなく努力しない(ように見える)人などはおらず、よくよく聴いてみると、努力できない(ように見える)理由があるのです。


また、それなのに偉そうなことばかり言う、というのにも理由があるはずです。


あまりにも自己肯定感が低いために、一生懸命自己を正当化して虚勢を張っていないと社会的に自分を保てないのかもしれません。

下手に出たら人から侮られる、と思っているのかもしれません。


いずれも、持って生まれた性質や、ここまでに体験してきたことの影響を受けて、今があるのです。


そうした事情を知ると、「いろいろと大変なことがあるのに、その人なりの試行錯誤をしながら頑張って生きているのだな」という感覚を得ることができるかもしれません。



これが、無条件のリスペクトです!!







その人が何かに優れていなくても、頑張って生きている、ということに敬意を感じることができる。




敬意とまではいかなくても、その存在を「努力しない人間には意味がない」と切り捨てることなどせず、「かけがえのない存在」として尊重できる。


あるいは、傷付きながらも、不器用であっても、その人が生きていることに愛おしさを感じられる。


そういった感覚です。



そうは言っても、関わる人の事情を全て知ることなど不可能です。
それぞれの事情は、本人にしか分からないわけですから。

しかし、

「事情があってのことなのだ」と思うことは、誰に対しても可能です。




つまり、無条件のリスペクトとは、「◯◯だから」とか「◯◯した人は」などと条件をつけずに、ありのままを無条件に受け入れる、ということ。







「おかしいのではないか」
「こうしたらよいのではないか」

などと、評価を下したり、相手を変えようとしたりすることなく、

「いろいろな事情の中での現状が、これなんだろうな」と思うことなのです。



「ええ!?神様でもないのに、そんなことできない!!」
「何でそんなことをしなければならないの?」

と思うかもしれませんね。



これを、「どんな相手も受け入れるべき」と道徳の教科書のように読んでしまうと、確かに苦しくなるでしょう。



しかし、

ここで思い出していただきたいのが、本来の目的です!


それは、「自己肯定感を高める」ことでしたね。


「無条件のリスペクト」という考え方を知ることが、自己肯定感を高めるカギになる、ということだけここでは押さえておいてください。




あの人の現状には、いろいろな事情があるんだろうな。


そう思えるとき、私たちはどんな人に対しても、優しくなれますし、リスペクトすることができます。

相手のことを「かけがえのない存在」として尊重すること。

社会的な立場や業績などとは関係なく、それぞれが与えられた事情の中で一生懸命生きているのですから、全てが貴重な存在なのです。


もちろん、自分も含めて、ということについては次回のブログでもっとお話ししていきますね!




では、また💕
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2017年1月28日土曜日

自己肯定感の低さが襲う対人関係障害

心理療法士の加藤絢子です。

今回のブログは「自己肯定感の低さから他人に振り回される」
ことの例を書いていきたいと思います。







例1
隣の席の同僚がやたらと話しかけてくるので仕事が中断されて困っている。話しかけられると、「今後はどのくらい続くのだろう」とうんざりする。


この例をさらりと読めば、「そんな同僚が隣だったら嫌だろうな」という話です。
しかし、この例に含まれているもっとも大きな問題は、

・話しかけてくる=聴かなければならない。
・話をどこでやめるかは相手が決める。

という、「相手中心主義」ともいえるもの。

自己肯定感が低い人は、自分を中心に考えることができないので、相手の不規則な行動にそのまま振り回されてしまうことが少なくありません。


「私は集中力が低いから、話してしまうと、なかなか仕事に戻れない」
「ちょっと仕事に間に合いそうにないから、ここまでにするね」

などと言って自分を守ることができないのです。






例2
私の気持ちを分かってくれない彼に、いつも腹が立つ


自己肯定感が低いと「自分はこうしたい」となかなか言えません。
にもかかわらず、人が自分の気持ちを読んでくれないとストレスに感じたりします。
自己肯定感の低い人は、他人にあまり期待をしないのでは?と思うかもしれませんが、このあたりはそうしたイメージとは全く逆で、自分を肯定していない人ほど、人に気持ちを読んでほしがることが多いのです。

「自分の気持ちなんてとても伝えられない」という無力感が、「相手に気持ちを読んでほしい」という依存的な期待につながってしまうのだと言えます。





例3
朝、上司の機嫌がすごく悪かった。「私が昨日出した報告書がダメだったのかしら?」と不安でたまらない。


自己肯定感が低いと、自分とは全く関係のない他人の言動を、「自分のせい」と感じやすくなります。
ただ機嫌が悪いだけの人を見て、「自分が怒らせた?」と感じたり、疲れている人を見て、「自分が疲れさせた?」と思ったりしてしまうのです。

常に反省して何が悪いの?と思われるかもしれません。
実際、「人の機嫌が悪いときは、自分が何かをしたのではないかと考えるように」と育てられた人もいるでしょう。







しかし・・・
人が不機嫌になる理由は様々です。

単に体調が悪いのかもしれません。
私生活で何か問題があるのかもしれません。

それら全ての可能性を「自分のせい?」と引き受けていたら、不要なストレスまで抱え込むことになります。

そもそも、社会人として求められることは、機嫌が悪くなったら、そのまま当たり散らすのではなく、改善できることは改善する、という姿勢でしょう。


報告書に問題があるのであれば、それは上司がきちんと伝えるべき問題で、そうできていない上司は、「社会人として機能していない」という見方もできるのです。

また、上司の立場にたってみれば、少しでも機嫌を悪そうにすると「自分のせい?」とビクビクする人の存在は、かなり重荷でしょう。

上司だって人間ですから、機嫌が悪かったり疲れていたりすることもあるのです。

常に上機嫌でいることは難しいでしょう。



自己肯定感の低さは、そんな「相手の事情」すら考えてあげることができない、余裕のなさを作ってしまうと言えます。


💡ポイント💡

自分を大切にしないと、相手の事情にきづけない








他人の言動に腹が立つ


他人を攻撃してしまう裏にも、実は自己肯定感の低さが関係しています。

そもそも人はなぜ他人を攻撃するのでしょうか?

攻撃というのは、動物が脅威を感じたときの反応パターンの1つです。


人間を含め、動物は脅威を感じると、「fight or flight  (闘争か避難か)」反応を起こします。


逃げられる状況であれば逃げるし、逃げられないとなると闘うのです。


一般には逃げる方が楽ですし合理的なので、例えば、熊なども突然出くわさない限りは、熊の方が人間から上手く逃げてくれるものです。

だから、人間という脅威に余裕を持って気づいてもらうために、「熊よけの鈴」というものがあるのです。






しかし、

人間の場合、社会的なメンツなどもありますから、いつもいつも逃げてばかりというわけにもいかない、と考える人も多いものです。


逃げられないから、攻撃するしかない。


ですから、攻撃や反撃は、案外あちこちにみられます。



さて、

ここで改めて認識しておきたいのは、「攻撃は脅威を感じた時の反応」ということです。

しかし、

何を脅威と感じるかは、人によってかなり異なります。

特に対人関係的な文脈では、何を脅威と感じるかは、その人の人生を反映するようなところもあります。








例1
誰かと意見が対立しているとき、友人から「でも向こうの言い分も分かるよね」などと言われると、すごく腹が立ってしまう。



よく知られているのは、自分の言動を否定ばかりされながら育った人は、多様な意見を受け入れにくいということ。


人それぞれ、いろいろな意見があってよいのですが、否定ばかりされながら逆境の中で育った人は、自分と違う意見を持つ他人を見ると、「自分が否定された」と感じやすいのです。


これは当然のことで、意見を否定されながら育ったということは、常に「お前の言うことは間違っている」と言われながら育ったということ。

そこには、「正しい考え」という絶対的なものがあって、それ以外は間違っている、というメッセージがあります。

本当は、いろいろな意見があってよく、それぞれが「正しい」と言えるのに、です。


ですから、そうやって育てられた人が、自分と違う意見を言う他人を見た時に自分が否定されたように感じるのも当然です。


「それは間違っている」と相手を攻撃しなければ、自分が間違っていることになってしまう、と思うのでしょう。

この例のように、対立する相手に友人が理解を示したりすると、「裏切られた」という思いになってしまうのも、そのためです。


つまり・・・

「単なる他人の一つの意見」が、否定されて育った人にとっては、「脅威」になってしまうのです。


ただ、このような人の自己肯定感はかなり低いと言えます。

自分の意見について「まぁ、これが自分の意見だから、何とでも言って」と思えたり、狭量な相手に対して、「まぁ、この人は実際に苦労している人のことを知らないから、こんなことを言うのも仕方ないな」と思えたりする人はかなり自己肯定感が高いと言えるのですが、自分の意見について他人がどう思うかをピリピリ気にするのは相当自己肯定感が低い証拠です。


自分の意見と異なる相手を攻撃ばかりしている人、というのは、言い換えれば、「常に自分が正しくなければ気が済まない人」です。


少しでも自分と違う意見を言われると屈辱を感じてしまい人でしょう。

でも実際には、それぞれの人には事情があり、それを反映した「正しさ」があるもの。


ある人から見ると正しくないように見えることでも、別の人の事情を考えれば、それが「正しい」ということになるのです。





でもでも・・・

「どうすれば自己肯定感を高められるの?」というところで行き詰ってしまうのではないでしょうか?


いろいろな本を読むと、自己肯定感の基本は幼少期の育て方による、とか、子ども時代に受けたいじめによって徹底的に自己肯定感が下がってしまう、などと書かれています。


それはもちろん嘘ではありません。


でも、子ども時代は過ぎてしまっているでしょうから別のやり方が必要ですね。


次回のブログからは、幼少期からやり直さなくても、今からでも自己肯定感を高めていくエッセンスをやっとお伝えしていくことができます。







※ブログですが、定期的に発信するべきですが、
 不定期発信になっていることを深くお詫び申し上げます。
 
いつもブログを読んでくださりありがとうございます!!





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2017年1月17日火曜日

「わたしなんて・・・」

こんばんは、心理療法士の加藤絢子です。

今回のブログは、「自己肯定感が低いとどんな問題が引き起こされるのか」を
具体的に見ていきたいと思います!







問題①

「私にはどうせできない」と思って、新しいことを始められない。


自肯定感が低いと「私なんて」という感じ方になります。

自分が他人よりも価値の低い人間だと感じたり、
自分だけがどこかおかしいと思ったりするのです。


また、

自己肯定感がかなり低い人になると、自分など生まれてこなければよかったのではないか、と感じることもあるほどです。



自己肯定感が低いと、もちろん「自信がない」ということになりますし、
「どうせ」と投げやりになったりしてしまいます。



「どうせこんな自分にできるわけがない」
「どうせこんな自分が求められるわけはない」

と思ってしまうのです。

また、自分は他人よりも価値が低いと思うと、「ありのまま」の自分を
むき出しにすることなど、できるわけがありません。


そんな姿を見せたら、嫌われてしまったり、評価が下がったりするからです。


こんなふうに他人の目を気にして、自分を偽ってしまうのも、
自己肯定感が低い人の特徴になります。







問題②

私の部下は、注意をしても常に自己正当化して、決して非を認めない。
上司としてやりにくいけれども、私も彼女くらいに自己肯定感が高ければ、と羨ましくもある。


この部下は、一見すると「私なんて」の全く逆と言えます。

「私こそが正しい」という態度で生きているからです。

しかし、

この部下の自己肯定感が高いのか?というとかなり疑問です。



実際、ことさら強く振舞う人の中には、実は自己肯定感が低いという人が少なくありません。


そう言う人は、「弱く見せると侮られる」と思っているため、上司に注意をされて、例え心の深い部分では「しまった」と思っていても、それを打ち消すくらいに強く自己正当化してしまうのでしょう。


本当は、「ありのまま」の自分を見せても、侮られるどころか温かく深いつながりが得られることが多いのですが、そんな世界は想像もつかないのです。







POINT


気が強いからといって、自己肯定感が高いわけではない!

2017年1月13日金曜日

私は自分をいじめてしまう

こんばんは、心理療法士の加藤絢子です。

今回のブログは、「自己肯定感とはどういうものか」を改めて見ていきましょう!








「自己肯定感」を持てと言われても他人に誇れるような才能や能力などない。



「自己肯定感」とは、「優れた自分」を誇りに思うことではありません。
「ありのままの自分」をこれでよいと思える気持ちです。



これは、それほど具体的に感じられるわけではありません。
心地よく温かい空気のように、自分をぽかぽかと満たしてくれる感覚です。



普段は、その存在を意識しないことが多いでしょう。



まるで、空気のようなものだからです。
空気は、あまりにも当たり前のものなので、その恩恵を感じずに生きている人が多いと思います。


でも、

空気が足りなくなると、にわかにその存在が致命的に重要だということに気づくものです。




自己肯定感もそんな感じです。




自己肯定感は、人がネガティブな思考に捉われずにのびのびと温かい人生を歩むための「空気」のようなもの。









自己肯定感が高いと、自分のダメなところを探しをすることもなく、自分らしい人生を生きていくことができます。

自分や身の回りの人や物事、景色を、明るい目で見ていくことができるのです。



もちろん、

問題がなくなるわけではありません。

でも、

自己肯定感が高ければ、問題が起こったときに、

「もうダメだ」と絶望的になるよりも、



「まぁ、なんとかやってみよう」
「なんとかなるだろう」

という感覚を持ちやすくなります。



問題解決が上手くできなくても、そんな自分を責めることなく、

「今回は仕方ない。次は上手くやろう」という前向きな捉え方をすることが出来るのです。




つまり・・・


多くの人が得たいと思っている「しあわせな人生」こそが、そこにありまあす。















一方、自己肯定感が低いと、


「こんな自分はダメだ」と自己否定的になったり、
「こんな自分が、どうやって生きていけるのだろうか」 と不安になったり、


「何をやってもどうせ意味がない」と無力感を覚えたりします。



あるいは、

自分を大切にすることができないため、心身を傷つけるようなことをしたり、
絶望の中、問題行動を起こしたりする場合もあります。



自己肯定感の低い人は、「自己肯定感が低い」ということについても、自分をネガティブな目で見ています。



「私は、自己肯定感が低いからダメだ」
「どうしてこんなに自己肯定感が低いのだろう」  という具合に、です。




もちろん結果として自己肯定感はさらに下がってしまうでしょう。










自己肯定感が低いということは、自分で自分をいじめているようなもの。




常に自分を

「これではダメだ」
「どうせできない」

という目で見ていくことは、自分を傷つけるようなものなのです。


結果として「心の病」になっても不思議ではありません。


実際、心を病んで心理療法を受ける人たちは、往々にして自己肯定感がとても低いものです。





POINT

自己肯定感が高まると「生きづらさ」を手放せる!!


次回のブログは、自己肯定感が低いとどんな問題が引き起こされるのか、具体的に見ていきましょう!